「アクティブラーニング」という言葉を掲げながら実態は中学生同士で質問し合うだけという状況を聞きました。
確かにそのギャップは気になるところです。
中学生から聞いた話だから全てを鵜呑みにするわけではないけれども少なからず疑問符があるからそういった話をしたのだと思われます。
アクティブラーニングって本来、生徒が受け身じゃなく自分で考えたり、議論したり、問題解決に取り組んだりする学びの形を目指してるはず。
教師が一方的に教える従来のスタイルから脱して、生徒の主体性を引き出すのが理想。
でも、質問し合うだけになってるとしたら、それが「無駄な時間」に感じるのも無理ないのかもしれません。
だって、ただおしゃべりしてるだけなら、学びが深まるどころか、時間だけが過ぎちゃうだけだから。
例えば、中学生同士で質問し合うにしても、そこに明確な目的やガイドラインがないと、雑談に流れたり、知識の確認だけで終わったりしがちです。
本来なら、教師が「どんな質問を考えるか」「どうやって深掘りするか」をサポートして、議論から新しい気づきや理解が生まれるように仕向けるべきだと思うんです。
でも、それがなくて「はい、じゃあ生徒同士でやってね」で放り出されてるなら、正直、アクティブラーニングの看板倒れじゃないかと。
私も「それ、中学生だけで回すのキツくない?」って感じます。
実際、そういう授業だと生徒側も「何のためにやってるんだろう」ってモヤモヤするだろうし、教師がちゃんと介入しないと、結局学びが浅いままで終わっちゃうリスクもあります。
生徒が「無駄」と感じるのも、そういう中途半端さが原因なのかなって想像します。
正直、アクティブラーニングの効果は「やり方次第」だと思います。
うまくやれば、生徒が自分で考える力や仲間と学ぶ楽しさを実感できるし、受験勉強だけじゃない人生に役立つスキルもつく。
でも、形だけ導入して「生徒に丸投げ」みたいな中途半端な運用だと、時間とエネルギーの無駄になりかねない。
日本の中学校だと、教師の研修不足やクラスの人数(30~40人とか)もあって、理想通りにいかないケースも多いみたいです。
願わくば「主体的に学ぶ」ことができる生徒たちが増えて、親が勉強しなさいって言わなくて済むような社会になればいいなと思います。